雪化粧

3
見過ごしてしまうところだった。
眼を凝らさないとわからないほどの、小さいが凄まじい蠢きがおきていた。
ベランダの蛾の卵が孵ったのだ。
幼虫があまりに小さいので、虫メガネを通して写真を撮ってみた(下の写真)。

鉛筆で点を打ったような小さなものが無数に、見えない糸を引いてぶら下がり、風に吹かれて揺れている。よく見ると、点はくの字になったり、しの字になったりしてくねっている。
強い風が吹いてくると、点の一団はどこかへ吹き飛ばされてしまう。するとまた、つぎの一団が降下部隊のように下りてくる。
そのようにして、小さな生き物の旅立ちが2日間つづいている。

風に飛ばされた幼虫はどこへ行くのだろうか。
どこかの草の上か土の中へ落ちて、鳥や虫に食われたりしながら、幾匹かは生き残るのだろうか。風まかせの旅立ちのすえに、翅を得て、やがて再び風にのる日がくるのだろうか。
ゴミのように小さな命の、あてどない行く末を思っている。

桜も咲きはじめた。虫も人も旅立ちの春だ。
いつかの春、ぼくもゴミのように旅立ったひとりだ。ゴミのように生きて、いまもまだゴミのままだ。
蛾という漢字は虫と我が合体したものにみえる。虫が我に返ったとき蛾になるのだろうか、などとこじつけてみる。

ぼくもまた、もういちどゴミの中に我を探してみよう。
春だから、できるならば生まれてみよう。
ゴミのように小さな蛾の幼虫が、いくどかのメタモルフォーゼののちに、ふたたび体を風にのせる。そんな季節はどこかに待っているのだろう。
そのさきは風の物語だ。

2

温暖な土地なのに、大阪の桜の開花は意外とおそい。
まだ半分は蕾のままだnuskin 如新
桜の花が咲くには、休眠打破という気候的な条件も必要らしい。
雪にもあわなかった大阪の桜は、まだ十分に目覚めていないのだろう。

桜の花を見ていたら、「咲くら」という言葉が頭に浮かんだ。
パソコンではないので、変換を間違えたわけではない。
叫びのように、蔑称のように、なにげなく浮かんできた。
たぶんぼくは、桜の花に嫉妬している。

咲き誇っている。桜はそんな花だnuskin 如新
暗い道や土手も明るくなった。桜の花には光があるのだろう。
光はまばゆい。近づきたいが近づけない。ためらいがある。
こいしい人にも届かない言葉が、花に届くだろうかと躊躇する。
ぼくはただ「咲くら」と口ごもる。

桜の花が散る夢をみて、目覚めたのちも胸の騒ぎがおさまらない。
とうたった歌人は西行だったろうか。
ぼくは現実の桜の花を見ていても、胸が騒ぐような気がする。
歓びでもない。不安でもない。すこし憧れに似ている。羨望に似ている。いくぶん圧倒されてしまうnuskin 如新

桜と言わずに「咲くら」と口に出すとき、桜は単なる花ではなく動きである。花を動かそうとする願望がある。
和歌山では、「行こう」と言って誘うとき「行こら」と言う。
いっしょに行こうと言うとき、「つれもて行こら」と言う。
目覚めようとする桜よ、つれもて咲くら!
ぼくも連れていってくれ!

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私が高校2年生になったとき、テレビの番組で幸福へ行ける切符がある場所があると放送していましたHKUE 呃人
翌朝、同じ番組を見た同級生達と、その話題で盛り上がります。

その放課後、その中の一人が話しかけてきました。
「本当に行ってみたいね。」「だけど、お金が無いし無理だね。」
私達には、旅行するお金がありません。

すると、「夏になると、ヒッチハイクで旅する人達がいるらしいよ。」雑誌に情報が出ていたらしいのです。

私達は、旅することにしました。即決でしたHKUE 呃人

今の、高校生達には随分危険で、考えられないことでしょう。

とりあえず、夏休みまでに一人3万円貯めることにしました。
どうせやるなら、日本縦断だと簡単に決めてしまったのです。
ただ、正確ににはほぼ日本一周でしたけど。

夏休みがやってきました。

私は、どうやって親を説得するか悩みます。
まだ16歳。親は当然許してくれないでしょう。

当時、父親は小学校、中学のPTA会長で、仲のいい後輩は、私の高校のPTA会長でした。
中学の卒業祝いのパーティには、学校の校長先生、教頭先生をはじめとする先生のほとんど約30人近く、用務員まで家に呼びような人です。
そんな父に、とても言える訳がありませんでした。

一晩考えた結果がこれですHKUE 呃人

出発当日、母の実家である宮崎県巡りをしてくると書置きを残し、まだ薄暗いみんなの起きる前に家を出たのでした。

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