雪化粧

2014年06月

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私が高校2年生になったとき、テレビの番組で幸福へ行ける切符がある場所があると放送していましたHKUE 呃人
翌朝、同じ番組を見た同級生達と、その話題で盛り上がります。

その放課後、その中の一人が話しかけてきました。
「本当に行ってみたいね。」「だけど、お金が無いし無理だね。」
私達には、旅行するお金がありません。

すると、「夏になると、ヒッチハイクで旅する人達がいるらしいよ。」雑誌に情報が出ていたらしいのです。

私達は、旅することにしました。即決でしたHKUE 呃人

今の、高校生達には随分危険で、考えられないことでしょう。

とりあえず、夏休みまでに一人3万円貯めることにしました。
どうせやるなら、日本縦断だと簡単に決めてしまったのです。
ただ、正確ににはほぼ日本一周でしたけど。

夏休みがやってきました。

私は、どうやって親を説得するか悩みます。
まだ16歳。親は当然許してくれないでしょう。

当時、父親は小学校、中学のPTA会長で、仲のいい後輩は、私の高校のPTA会長でした。
中学の卒業祝いのパーティには、学校の校長先生、教頭先生をはじめとする先生のほとんど約30人近く、用務員まで家に呼びような人です。
そんな父に、とても言える訳がありませんでした。

一晩考えた結果がこれですHKUE 呃人

出発当日、母の実家である宮崎県巡りをしてくると書置きを残し、まだ薄暗いみんなの起きる前に家を出たのでした。

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ぼくも漁師の真似事をして釣竿を出してみたが、海は眠っているように静かで、期待する魚信のひとつもなかった特價機票
釣りにも飽きたころ、いきなり竿が海中に引き込まれた。しばらく頑張ったが手元まで引き上げることはできず、いくどか水面に白い腹を見せたのは大きなボラだった。ついには糸を切られてしまい、それで釣りはあきらめた。
一瞬の海の怪物との出会いのようだった。そのとき静かな海が動いたのだった。
あの日以来、あの東北の地での海の災厄以後、海という存在は特別なものになってしまったかもしれない。海は歳月をあの日に、いっきに引き戻してしまうのだ。

ここ小島は、紀伊半島の一角にある吸塵機
南海沖地震が近く発生するかもしれないといわれている。海のトラフはすぐ近くにある。あっという間に大津波は、小高いところにある神社さえやすやすと呑み込んでしまうだろう。
その時ここの人々は、どこへ逃げるのだろうか。
おもわず背後の山を見上げてしまう。どこまで駆けのぼれるか、人々の生死を分けるのは山のどの辺だろうか。
そんなことを考えながら、ぼくの思いはすでに山を駆けのぼっている。息せき切って逃れても逃れても、海の怪物は追いかけてくるだろう。
いま山の上には、掃き残したような雲が流れるでもなく流れて、秋の澄みきった空がある。その空もまた、深い海の色をしていた郵輪旅行團

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