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見過ごしてしまうところだった。
眼を凝らさないとわからないほどの、小さいが凄まじい蠢きがおきていた。
ベランダの蛾の卵が孵ったのだ。
幼虫があまりに小さいので、虫メガネを通して写真を撮ってみた(下の写真)。

鉛筆で点を打ったような小さなものが無数に、見えない糸を引いてぶら下がり、風に吹かれて揺れている。よく見ると、点はくの字になったり、しの字になったりしてくねっている。
強い風が吹いてくると、点の一団はどこかへ吹き飛ばされてしまう。するとまた、つぎの一団が降下部隊のように下りてくる。
そのようにして、小さな生き物の旅立ちが2日間つづいている。

風に飛ばされた幼虫はどこへ行くのだろうか。
どこかの草の上か土の中へ落ちて、鳥や虫に食われたりしながら、幾匹かは生き残るのだろうか。風まかせの旅立ちのすえに、翅を得て、やがて再び風にのる日がくるのだろうか。
ゴミのように小さな命の、あてどない行く末を思っている。

桜も咲きはじめた。虫も人も旅立ちの春だ。
いつかの春、ぼくもゴミのように旅立ったひとりだ。ゴミのように生きて、いまもまだゴミのままだ。
蛾という漢字は虫と我が合体したものにみえる。虫が我に返ったとき蛾になるのだろうか、などとこじつけてみる。

ぼくもまた、もういちどゴミの中に我を探してみよう。
春だから、できるならば生まれてみよう。
ゴミのように小さな蛾の幼虫が、いくどかのメタモルフォーゼののちに、ふたたび体を風にのせる。そんな季節はどこかに待っているのだろう。
そのさきは風の物語だ。